こんばんは、こゆきです。今日はだいぶ落ち込んでいます。なぜでしょうね。
落ち込む度に思い出すのが子ども時代のこと。何をやっても褒めてもらえなくて、むしろ「お姉ちゃんみたいになるよ」っていう妹たちへの脅しに使われていたことを思い出してしまいます。
努力肌の秀才の母、凡人の私
私の母は、非常に頭がいい人です。テストは100点を取るのが当たり前。
小学校から高校を卒業するまでずっと100点。
やるべきことをやったら、100点になるんだからすごいことではない、と言っていました。
確かに彼女の英和辞典を見ると、どのページを開いても赤い線。私の綺麗な英和辞典とは大違いです。
母にとって私は出来損ないの存在でした。成長してから聞いたところによると、「こゆきのことは小学校の時に諦めた」と。出来が悪くて、これはダメだと思ったそうです。それを聞いた時、大人でしたが泣きそうでした。
だったら1位になったら褒めてくれるのかなと思いましたが、日本史のセンター試験模試で1位になっても褒めてくれませんでした。
褒めてもらえた記憶はすごく遡って小学校1年生で、初めて習字教室に通って作品を持って帰った時。
「お母さんより上手だね!」といってくれました。
それを忘れられないくらい、褒めてもらえることはなかったんです。確かに進学校で100点を取り続けられる母にとって、私は取るにも足らない存在で、とんでもなくおバカに見えたことでしょう。
母と同じ高校に進学して、母に教えていた先生が現役で教えてらっしゃたことを、母に伝えた時「頼むから私の娘だと言わないで」と言われました。泣きそうでした。そんなに恥ずかしい娘なのかと。
18歳まで自分のことを気持ち悪いと思っていた
私は、容姿を親に褒められたことがありません。出産してからというもの娘たちに毎日可愛いね可愛いねと言っているのに、母からは私たち姉妹は可愛いねと言われたことがない。その時初めて、「なんで母は私たち姉妹をかわいいって言ってくれなかったんだろう」って不思議に思いました。
考えてみれば、かわいいと言われたことがなかったからか、子どもの頃は自分は気持ち悪い部類だと思い込んでいました。実際も、美人ではありません。でも、私が思っているよりも普通だったんです。それがわかったのは親元を離れてからでした。
大学の友達が可愛いと言ってくれて、サークルの先輩がきれいだねと言ってくれる。そこでようやく、私の外見は人並みなのかと思えました。だから、私を求めてくれる人は、誰でもなんでも嬉しかった。そんな荒れていた時期もありました。荒れていたというより、満たしていたのかもしれません。こんな私でも好きって言ってくれるんだ、こんな私でもいいんだって。
褒められても稼いでも満たされない心
そのせいでしょうか。私はところどころおかしいです。
私のことを褒めてくれる人にはすぐ心を開いて飛び込んでしまいます。
そして何をやっても満たされない。
それが母のせいばかりだとは思いません。でも、どうやっても満たされなくて、常になにかを欲しがってしまうんです。どうやったら私の心は満たされて、穏やかに暮らせるのでしょうか。
「こゆき、すごいね!頑張ったね!さすがだね!」
「毎日たくさん働いて大変だね!助けにいくからいつでもいってね!」
そんな母の言葉を待っているのでしょうか。
毎朝見かける素敵な3世代
次女を保育園に連れて行くとき、閑静な住宅街を通り抜けます。23区内の駅徒歩数分圏内なのに、敷地が大きくて贅沢な作りの邸宅が並んでいます。そこに、いつも家の周りを掃き清めてきちんとしている素敵なお宅が1軒あるんです。
老夫婦が住んでらっしゃっていて、毎朝娘さんがお子さんを連れてやってくる。すると、門の前で待っていてた老婦人が「〇〇ちゃんよく来たね」と満面の笑みで迎えて、お子さんだけ連れて行きます。門の中のお庭もさっぱりと整えられていて、常日頃から手を入れていることがわかります。
娘さんは、老婦人に手を引かれて家の中に入ってくお子さんの後ろ姿を見送るとさっと自転車に乗ってお仕事に向かいます。その光景を毎日眺めていると、ついつい考えてしまうんです。私にもああやって帰る家があって、年老いたけどまだまだ元気な母が出迎えてくれたらどんなに心が安らぐんだろうって。
よい母親になりたいのに頭の中によい母親がいない
私は良い母親になりたいと思っています。私の母は、私が長女を産んだ時、次女を産んだ時、それぞれお手伝いに来てくれました。その時は本当に助かりました。だから娘たちが子どもを産んだら同じようにやってあげたいなと思っています。
でも子ども時代の私の頭の中に、良い母親がいないんです。
「そんなことしていたらお姉ちゃんみたいになるよ!」
と妹たちを叱り飛ばす母。もちろん、虐待をされていたわけでもネグレクトがあったわけでもありません。女手一つで3人姉妹を育ててくれて、とても大変な思いをしていたでしょうし精一杯やってくれていたんだと思います。
愛情が足りなかったわけでもないと思います。楽しい思い出だってたくさんあります。でも、テストを持って帰った時、通知表を見せた時、宿題をやった時、部活を頑張った時、そんな時に手放しに褒められた経験がないんです。お手伝いは、やって当たり前、やらなかったら怒られる。
子どもたちには同じ思いをさせたくないから、しっかり褒めて向き合っていきたいと思っています。でも、全く自信がありません。
なんだか今日は愚痴っぽくて湿っぽい感じになってしまいましたね。
明日からはまた元気に書けると思います。暗いのに最後まで読んでいただきありがとうございました。